苦節10年、「日本一のアボカド産地」を目指す松山の取り組み

国産アボカドに向けた始まりは2008年ごろ、偶然の発見がきっかけでした。
松山市の農家は特産の温州みかんや伊予柑を育てている人が大多数ですが、当時それらの柑橘が価格低迷の危機を迎えていました。
耕作を放棄されてしまう農地が増え、行政担当者も頭を抱える事態。
当時担当者だった柴竜己さんはどうしたものかと悩んだ矢先、上司が訪ねた柑橘農家のみかん畑で、柑橘とは異なる緑色の果実を見つけたのです。
それは、過去に台風被害を受けた際に教訓を刻もうと植えられたアボカドの木でした。
手間暇かけて育てたわけではないというのに、しっかり育って実をつけていたのです。
「これなら…いけるんじゃないか!」
人気急上昇の食材ながら輸入がほとんどで、柑橘のように木になる果実。うまくいけば、これからの松山を救ってくれる救世主かもしれません。柴さんは、善は急げとばかりに、苗を用意するための行動を開始しました。
アボカドの苗はそう簡単に手に入らないため、給食の調理などから出た種などをかき集め、育てて準備したのです。
2009年から苗木の分譲を始めました。他の地域に先駆けて「日本一」となって、農家の所得向上に繋げようと動き出したのです。

ちなみに、アボカド苗が日本に初上陸したのは1915年。現在の静岡県興津市にある旧農林水産省果樹試験場へアメリカのW.J.Swingle博士が寄付したときと言われています。残念ながらこの苗は、寒さにより枯死してしまったそうです。
「空き農地でも、さほど栽培労力をかけずに育てられる」という期待とは裏腹に、スタートは思ったように進みませんでした。アボカドは熱帯の植物。
寒さや干ばつにより枯死してしまうものも多く、そもそも苗木が実をつけるまでに5~7年かかると言われています。国内の栽培事例も乏しく、試行錯誤が続きました。
苗木の枯死や不十分な成長など失敗が連続するも、松山の生産者は諦めませんでした。挑戦者のほとんどが、もともと柑橘を育てるベテランです。
農家心に火がつき、アボカド栽培には逆にエンジンがかかりました。水やりや剪定方法、寒さ対策のために牧草を植えるなど細心の注意を払い、各農家が未知なる植物に情熱を注ぐ日々が続きました。
市は栽培講習会や現地講習会を開き、アボカドの普及をサポート。公民一体となり、二人三脚で松山発の国産アボカドに取り組んだのです。

2015年に「日本アボカドサミット」を松山市内で開催。流通業者や消費者ら900人が集まり、レシピの披露などが行われました。
ようやく市内の市場にアボカドの実がお目見えしたのは2016年のこと。国産アボカド産地としての売り出しも奏功し、好評を博しました。

松山市は市内の対象者へ苗の分譲を続けており、平均して年間約1000本の苗を分譲しています。
農家と行政の二人三脚の歩みは約10年で少しずつ実を結び、松山市内のアボカド農家は101軒*まで広がりました。初期の分譲で植えた苗木は、いまや3~4mの木となっています。

現在松山で育てられているのは、ピンカートン・ベーコン・フェルテ・ハスの4種。見た目や味、収穫時期が異なります。輸入品の多くは「ハス」という品種ですが、松山ではピンカートンやベーコンを主体に作られているそうです。
収穫されるのは例年11月から2月ごろ。一部の生産者によるインターネット通販か松山市内の直売所でも買うことができます。
仕掛け人となった柴さんも「輸入物よりも国産品は、木になっている期間が長いためとても濃厚で美味しいといわれています。ぜひ皆さんにも食べてみてもらいたい」と話します。
市内の飲食店では、まだ数軒ですがこのアボカドを食べられるお店もあるそうです。
当面は年間10トンの生産量を目指し、松山では収穫量アップなど新たな課題解決に向けて今日もアボカド栽培の努力が続いています。松山市内でも一部の農家でようやく出回り始めた幻の果実。これからもっと身近な存在になると嬉しいですね。
*H28年度松山市農業指導センター調べ
愛媛県松山市北梅本町甲1314