伝統の「伊予絣」、唯一残る1社が存続の危機に負けじと奮闘中​


藍染の生地に映える椿や松などの可愛らしい絵柄、しっかりした織り、さらりとした綿の肌触り。

明治から昭和初期にかけて圧倒的な生産量を誇り、日本中で愛用されていた愛媛県松山市の伊予絣は、福岡県の久留米絣、広島県の備後絣と共に、日本三大絣のひとつに数えられる工芸品です。かつては庶民向けの着物として、広く国内で愛用されていました。

ピークは明治39年(1906年)ごろ、生産量は日本一となり、国内の絣生産のうちおよそ半分を占めました。ただ、恐慌や価格の下落、洋装文化が進んでモンペなどに使われた絣の需要は低下。事業者は減り衰退の道を辿りました。

しかし今、再起を願って愛媛の伝統工芸品を守ろうと取り組む人たちがいるのです。

一人の女性が考案した、美しい紋様の織物

先に糸を染めてから織り上げる「伊予絣」は、江戸時代中期、松山・今出地区の鍵谷カナによって考案されました。幼少の頃から家の近くの庄屋で裁縫を習い、12歳のころには近所で評判の織り子だったカナは、目にした着物を、自己流でこしらえることができたといいます。

伊予絣の誕生については諸説ありますが、手先が器用だったカナが農家の藁屋根の葺き替え時に、竹の骨組みを縛り付けた跡のまだら模様に感動し、これを繊維に応用して織ったものが始まりとか。

讃岐にある琴平社に参った際に、久留米方面の人が着ていた織物を見て、自ら草をしぼって糸を染めて作ったなどと伝えられています。


綿の素材は、柔らかく吸水性や耐久性もあり、縦糸と横糸でしっかりと織り込まれた布地は丈夫で、絵柄が消えることもありません。

また、藍で染めることにより布の強度も増し、香りを蛇や虫が嫌うため、野外での「着る防虫剤」としての効果も発揮しました。これらの特性から、農村における女性の野良着としても大いに活躍しました。

強くて長持ちするため、状態のいいものは母から娘へ、娘からその娘へと受け継がれる事も多く、着物としての役割を終えたものは、布団掛けなどに作り直され、最後の最後まで大切に使われたのです。

「三大絣」に選ばれた理由は?日本中に伊予絣が溢れた最盛期と現在の状況

伊予絣が「三大」たる理由は諸説ありますが、「生産量」と「絵柄の多彩さ」と「庶民性」が大きいと考えられます。ピーク時の1906年は年間生産量約247万反を記録。通常、反物は1反で着物1枚分なので、単純に考えても247万着分です。

また、庶民が今ほど気軽に衣装を買えない時代、大切な1着を買う際に、好みの絵柄を選べることは大きな意味がありました。伊予絣の絵柄は、基本の井桁や玉がすりはもちろん、花やお城などの凝った柄も多いうえ、色も藍のほか赤や朱などの暖色もあり、ファッション心をくすぐるものだったのです。

さらに、三大絣の久留米絣や備後絣は絹メインのためやや割高なのに対し、伊予絣は木綿100%で庶民的な価格でした。特筆すべきは地方農村の隅々まで行き渡ったこと。これは、行商人の地道な努力の賜物で、大手問屋に扱われる事の多かった久留米絣や備後絣とは一線を画する浸透力を発揮したのです。

伊予絣に特化した施設から魅力を発信し、次世代に残す努力を

伊予絣は昭和4年の大恐慌までは年産220万反を維持し続けましたが、和装の衰退などに伴い、製造所は徐々に姿を消し始め、とうとう現在は松山市の白方興業1軒を残すのみとなりました。現役の織り手も2名のみで、年間生産量も手織りと機械織りを合わせて約60反に。後継者もなかなか見つからず、厳しい現状となっています。

存続が危ぶまれる中で、地域文化である伊予絣を継承し、たくさんの人に知ってもらおうと、先述の白方興業は「民芸伊予かすり会館」を開きました。実際に機織り機で伊予絣を作る様子や、天然藍を使った藍染体験もできます。伊予絣の歴史や基礎知識を学べて、実際の製品や機織り機を目にするとその魅力や貴重さが伝わってきます。


同会館の仙波勝館長によると「藍染めは、布を縛って染めて解いたらできあがり。思ったものが出来るかは腕次第だけど、失敗はないです。誰がやってもちゃんと柄ができる。布を解いた時にどんな柄が出来ているかという、ワクワク感があります」との事です。


また、次世代の作り手のために、織り手の制作風景を動画として残し始めました。後継者はいませんが、動画さえ撮っておけば、万が一伊予絣が途絶えたとしても技術は生き延びます。再興にあたって動画が必ず役に立つはず。今できることを精一杯に、存続のための努力は続きます。

白方興業は新しい試みにも積極的です。2016年に土佐紬とコラボしてモダンな松山縞柄を作ったところ、大きな反響を呼びました。松山の百貨店から声がかかり、ネクタイやボウタイなどを作ると、多方面から喜ばれ、今後の方向性に確かな手応えを感じたそうです。

存続のために、今できることを精一杯

伊予絣はかつて日本を席巻した織物だけあって、「民芸伊予かすり会館」には全国から問合せが寄せられます。例えば、大阪のおばあちゃんの寄贈。終活がてら大掃除をしていたら、嫁入り時の伊予絣の反物が出てきて、「家に置いておくより、会館に寄附した方が反物も喜ぶから」と相談されたそう。

送ってもらうと、それは可愛らしいチューリップ柄で、偶然にも白方興業の生産したものでした。「不思議なご縁ですね」と仙波館長。半分は寄附として受け取り、もう半分はバッグを作って、おばあちゃんに送ったところ、大変喜ばれたそうです。

同館では、このように各地にある伊予絣商品の情報収集にも注力したいそうです。全国のお宅に眠っていても不思議はないそう。例えば、各家庭の伊予絣商品の写真を募集したら、「日本全国の貴重な商品写真が集まるかもしれません」と仙波館長。


現状で事業者は1軒、職人も2人のみ。伊予絣は今、岐路に立たされています。伝統を大切にしつつ、時代に見合った新しいあり方を模索し、存続のために大きく舵を切ったばかりです。

写真出典:民芸伊予かすり会館

 

民芸伊予かすり会館
TEL:089-922-0405
営業時間:8:00〜16:00まで(無休)
料金:おとな100円 こども50円
※人数に応じた団体割引あり
愛媛県松山市久万ノ台1200
http://e-hime.jp/kasuri/index.php