創業390年。夏目漱石、正岡子規・・・数々の文化人が 魅了された道後温泉の名宿とは!? ​

近年、道後温泉は楽天トラベルの「女性一人旅」の人気温泉地ランキングで2014年から3年連続1位、環境省、観光庁が実施する温泉総選挙2016でも女子旅部門1位を獲得するなど、女子旅の聖地と称されるほど、女性達を惹き付ける魅力的な温泉地となりました。

このように、近年では、女性達に人気の温泉地ですが、日本最古の湯とされる道後温泉は、これまでにも様々な人々を魅了してきました。中でも、夏目漱石や正岡子規を始めとした多くの文化人が道後温泉に足繁く通ったとされています。

そんな彼らが道後温泉の名宿として憧れ、魅了されたのが、江戸時代寛永年間(1627年頃)創業の「ふなや」です。

俳人・文化人の足跡が残る宿
出典:道後温泉ふなや

道後温泉には、長い歴史の中で、多くの俳人・文化人が感性を刺激し、時に癒しを求めて、足を運びました。

道後温泉には多くの宿がありますが、その中で、ふなやは、「伝統を大切にし格式を活かしながらも、良いものであれば新しいものも積極的に取り入れ、お客様をおもてなす。」という心の下、自然を活かした格式高い日本庭園や宿の美しさに加え、当時の愛媛ではまだ珍しかった西洋料理を振る舞うなど、幾多の人々の旅の宿として愛される宿となりました。

ふなやには著名な文化人の足跡が多く残っています。例えば夏目漱石は俳人の高浜虚子と、一緒に、ビフテキを食しにふなやに通っています。


虚子の著書「漱石氏と私」によると、

漱石はふなやにはじめて西洋料理の出来ることを知って、よくそれを食ひに立寄った。(略)...漱石は折角、この片田舎の宿屋が西洋料理を作り始めたのに、それを食う者が少なくなっては、たちまち、また、止めはしないだろうかということを心配していた。

と記されています。地元にせっかく出来た珍しい西洋料理の店、何とか存続させたい、と漱石がやきもきする様子が伺えます。当時、漱石がふなやに宿泊した際に詠んだとされる俳句が記された句碑が飾られています。

出典:道後温泉ふなや

また、高浜虚子は、友人に会うためや、先祖の墓参りをするため、また子規の顕彰のためと、故郷に帰って来るたび、ふなやに宿泊しています。

太平洋戦争中に帰省した際も投宿し、「ふるさとに花の山あり温泉あり」という句を詠んでいます。久々に帰郷し、馴染みの道後に泊まった虚子は、温泉にゆったりと浸かり、美しい自然を楽しんだのではないでしょうか。

近代俳句・文学に多大な影響を及ぼした正岡子規も病気の静養中に、友人の漱石と同宿の庭園(現詠風庭)を散策し、「亭ところ々渓に橋ある紅葉哉」と秋の風情を詠んでいます。死の病とされた結核を患いながらも、美しさを感じ、人生に前向きであろうとした子規らしい句です。

出典:道後温泉ふなや

また、女流歌人の与謝野晶子は虚子の薦めで宿泊。その際に、「道後なる湯の大神の御社のもとにぬる夜となりにけるかな」という短歌を残しました。道後の温泉を祀る湯神社の近くに泊まったことが大きく印象を残したようです。

このように、宿の散策や歴史を通じて文学者の想いを追体験できるというのも、この宿の魅力の一つかもしれません。

また、近年は日本の俳句ファンだけでなく、海外からのお客様にもHAIKUに関心がある方が増えているとか。現在、ふなやでは「俳句」の名を冠した洋客室「俳句ラウンジスイート」を用意しています。伊予の文化を散りばめた部屋で、俳句を詠んでみるのも素敵ですね。

老舗旅館ふなや今後の展望

多くの文化人に愛されてきたふなや。今後も「お客様にゆったりと心地よく過ごしてもらう」というスタイルは変わりません。伝統の良さはそのままに、お客様に益のあるサービスは、前向きに検討していく予定です。

出典:道後温泉ふなや

庭園で自然を感じ、道後の良質な温泉を楽しみ、地元の食材を活かした和食やフランス料理を味わい、松山・道後の文化にも親しんでもらえれば宿として何より。「10年先、20年先も変わらず、お客様を温かなおもてなしで迎え、お見送りできるよう、努力を重ねていきたいと考えています。」

 

道後温泉 ふなや
TEL:0897-87-2131
愛媛県松山市道後湯之町1-33
フリーダイヤル:0120-190-278
https://www.dogo-funaya.co.jp