大三島発!Iターン夫婦が手がける、愛情いっぱいのレモンのお酒「リモンチェッロ」

今から9年前、レモン好きとお酒好きが高じて、東京からIターンで大三島に就農した山﨑夫妻は、農業体験・酒造体験・販売体験全てゼロ。
「リモンチェッロを自分たちで造りたい」という熱い想いに動かされ、島の生活に飛び込みました。その後、リモンチェッロを皮切りに、こだわりの商品を次々と開発し、全国から注文がくるまでになりました。

看板商品であり、夫妻が愛してやまないリモンチェッロとの出会いは、奥様の知子さんのイタリア留学でした。
「衝撃的な一杯でした!美味しくって。向こうでは、ストレートを一気に飲み干すんですが、それも粋だなあと思いました。すごく甘いので、デザート酒とも言われていますが、度数が30度位あるので、デザートとしては強烈ですよね。(笑イタリアでは家で手作りする事も多くて、日本で言えば梅酒のような存在かも。」
後にご主人の学さんもその味に惚れ込み、いつか自分たちで、レモンからつくる自家製リモンチェッロを手掛けたいと思うようになりました。しかも、どうせやるなら有機の無農薬栽培で。
それまで東京で生活していたお二人は、東京での暮らしに小さな違和感を覚え始め、もともとあった田舎暮らしへの憧れや、リモンチェッロ造りの夢がいよいよ膨らみ、直感的に「今動かないと!」と決断します。
ふたりで相談会に参加し、候補地を見学し、最終的に選んだのが大三島。柑橘類の栽培が盛んで、住みやすそうな環境が決め手でした。
「ふたり揃って仕事も辞め、島での収入は全くの未知数。でも、迷いはありませんでした。とにかくまずは行ってみよう、って。また、就農したかったので、農業員の方や先輩農家の方が親切にして下さった事も大きかったですね。」
引越し後も、不安を感じている暇はありませんでした。
自分たちが移住した理由はひとつ「無農薬栽培のレモンでリモンチェッロを造ること」です。
無収入でしたが「とりあえず」の就職はせず、農業の研修や畑探し、酒造りのつて、全ての力を目的のために注力しました。

現在山﨑ご夫妻が手がける柑橘畑は全て有機無農薬の畑で、いずれも大三島に来てから探し始めた場所ばかり。最初の畑を借りて、ふかふかの土作りからこだわり、夏には草刈りに追われ、イノシシの被害にも根気よく対応し、翌年に夢の大きな一歩目になる、初めてレモンの収穫を迎えました。

リモンチェッロは、ご縁があり西条市の老舗・成龍酒造の一画を使わせてもらい、島から通いで試作を重ね、記念すべき初商品が完成しました。イタリアよりも甘さは控えめ、ほんのりレモンの苦味が残る爽やかな味わい。これは山﨑夫妻がこだわり抜いた、日本人のためのバランス配分です。
ただ、おすすめの飲み方は本場と同じストレート。冷凍庫(度数が高いので凍らない)でキンキンに冷やしたものを、キュッと飲む。他にも、ロックやソーダ割り、アイスクリームにかけるなど、味わい方は様々です。
大変だったのが、酒造免許の取得です。内閣府にリキュール特区の申請をし、これが1年がかりで通過。このこと自体が、一農家としては前例が無い事でした。さらに、酒造免許は膨大な書類申請と、交渉の末、2年後、遂に念願の取得に漕ぎ着けました。
「市や県などの地域振興としてのお酒造りなら、もっと簡単に申請が通りますが、自分たちらしいお酒を造るため、あえてそれはしませんでした。」
苦労をしても、こだわりのリモンチェッロ造りを諦めたくなかったのです。こうして世に出たリモンチェッロが注目されるのに、時間はかかりませんでした。

リモンチェッロから始まった商品は、現在はスイーツやジャム、調味料や果汁100%ジュース、オリジナル雑貨まで扱う広い展開となりました。看板商品のリキュールだけでも9種類。選ぶ楽しさも生まれました。
「レモンは収穫時期によって味が変わるので、商品の仕上がりは少しずつ違います。一度に大量に仕込むのも難しく、どうしても限定品が多くなってしまいます。でも、そこが面白いですし、うちの個性かなとも思っています。」

「一番気に入っている商品は?」の質問に対しては「選べない」と、山﨑ご夫妻。今ある商品の全てに思い入れがあり、苦労して造った初めてのリモンチェッロも、新しく作った商品も、同じ様に大切だと言い切ります。
「商品開発にあたっては、企画段階のブレストでかなり調整しますし、試作も納得がいくまで繰り返します。少しでも良いものをという想いで造っているので、全ての商品に愛着があるのです」

まだまだやりたいことはたくさん、という山﨑ご夫妻。得意分野を持つ友人たちとレモンでコラボもしてみたいし、子供向けのワークショップ的な事も可能性があるのかも…など、夢は尽きません。
10年後、20年後がますます楽しみです。